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◆滋賀県社会福祉協議会発行の資料
 
みんなちがてみな同じ(社会福祉の礎を築いた人たち)
 
今、福祉の現場で仕事をしている人…
これから社会福祉を志す人…

そんなあなたに読んでほしい1冊です。
「みんなちがってみな同じ」の表紙
滋賀県社会福祉協議会 編
A5判 定価1,575円
(本体1,500円)

 このたび県社協では、戦後の混乱期…社会福祉がまだ人々の関心事でなかった時代から、常に利用者の立場に身を置いて「滋賀」で実践し、未熟だった日本の福祉制度に息吹を吹き込んだ、
糸賀一雄 池田太郎 田村一二 岡崎英彦 守田厚子 長尾寿賀夫 鎌田昭二郎
の諸先輩が、どんな実践を通じて、何を後継に託されてきたのかを、今日、社会福祉にかかわる一人ひとりが確認することが大事であるという思いから、本書を取りまとめました。
 福祉の現場に従事している人、これから社会福祉を志す人たちに、この本を手に取っていただき、七人が常に明日への希望をもとに活動されてきたことを、身近な存在として学び共感し、福祉専門職として活躍していただくための一助となることを願っています。ぜひ一度ご覧下さい。


お求めは、お近くの書店か、サンライズ出版(0749-22-0627 ※送料無料)にて
 

【 本書の概要 】
 戦後の混乱期や社会福祉が世間の人々の関心事にもならなかった時代から、常に利用者の立場に身を置き、未発達であるわが国の福祉制度に息吹を吹き込んだ実践家が、滋賀県から数多く輩出されてきました。
 本書は、戦後から今日までの間に、「滋賀」という地域で、福祉実践を通じて、社会福祉の専門化、制度施策化などに、生涯にわたり取り組んでこられた人々の実績を一冊の記録としてまとめたものです。
第1章「この子らが主役」では、知的障害児施設「近江学園」の創設者であり、知的障害のある子どもたちの福祉に生涯を捧げた糸賀一雄、池田太郎、田村一二の3氏、それに2年後に加わられた岡崎英彦氏を紹介しました。
第2章「住民が主役−夢の実現」では、戦後の混乱期から当事者の立場で母子福祉の実践をされてきた守田厚子氏、地域福祉活動の担い手として活動されている長尾寿賀夫氏、福祉・保健の統合化・総合化に努められた鎌田昭二郎氏という、つねに住民の視点で社会福祉の制度化に尽力されてきた3氏を紹介しました。
【 詳細 】
<序 章>
 かつて、琵琶湖の周囲で、「障害者のいのちと琵琶湖のいのちをともに抱きしめよう」こんな壮大な計画が持ち上がり、民間有志がボランティアとともに計画を実行に移しました。この趣旨は社会に大きな共感をよび、予想をはるかに超える参加者が全国から集まりました。そしてこの運動を契機として、14年後にはNPO法人「しみんふくし滋賀」が誕生しました。
 戦後の混乱期に、戦争孤児や心身障害児施設を作った福祉事業の先人たちの熱い思いが、時を経た今もなお滋賀県民に脈々と流れていることを実感したイベントでした。

○糸賀 一雄  理論派の福祉の父
 大正3年(1914)鳥取市生まれ。京都帝国大学文学部哲学科を卒業後、京都市立第2衣笠小学校の代用教員。昭和14年(1939)滋賀県庁に入り、社会主事補、秘書課長、経済統制課長、食糧課長等を歴任、昭和21年(1946)に池田、田村と近江学園を創設し園長に就任。昭和42年(1967)「朝日社会奉仕賞」受賞。翌年、滋賀県児童福祉施設等職員研修会で講義中に倒れ、翌日9月18日に54歳で死去。
 「この子らを世の光に」という有名な言葉を残した糸賀は、戦後日本の新しい社会福祉基盤を作った一人とされます。死後、30余年を経た今なおその業績は高い評価を受け、理論派の福祉の父として尊敬されています。数多くの言葉を残した糸賀ですが、中でも「福祉は人なり」という言葉にも表わされているように、福祉に携わる後継者としての人材発見とその養成に大きく寄与しました。

○池田 太郎  この子らの幸せのために 〜地域で福祉暮らす〜
 明治41年(1908)福岡県生まれ。京都師範学校本科第2部卒業後、京都市立第2衣笠小学校に勤務。昭和18年(1943)糸賀の誘いで三津浜学園に勤務。近江学園、信楽寮、信楽青年寮で知的障害児(者)の職業指導を展開。昭和54年(1979)「毎日社会福祉顕彰」「朝日社会福祉賞」を受賞。昭和62年(1987)79歳で死去。
 信楽学園の開設とともに、信楽のまちにやってきた池田太郎は、知的障害を持つ人たちが、人として尊重され、歓びをもって暮らしていくための支援を進めます。職員の育成から始まった信楽学園の立ち上げ、そして、全国初の成人を受けとめる信楽青年寮の開設、現在のグループホームにあたる民間下宿の開拓、事業者の協力を得ての就労など、彼らの幸せのために地域を取り込んだ先駆的な福祉を実践してきました。

○田村 一二  みんな同じ一つの命 〜茗荷村構想に賭けた熱意の人〜
 明治42年(1909)舞鶴市生まれ。京都師範(現京都教育大学)図画専攻科卒業後、京都市滋野小学校で特別教室を担任。その後「石山学園」「近江学園」「一麦寮」など知的障害児(者)施設を経て昭和50年(1975)茗荷塾を始め、昭和57年(1982)滋賀県愛東町大萩に「茗荷村」を設立。昭和48年(1973)「朝日社会奉仕賞」、平成5年(1993)「石井十次記念賞」を受賞。平成7年86歳で死去。
 生涯、知的障害のある人たちと生活を共にし、近江学園、茗荷村運動を通して、だれもが水平につながり合える社会のありようを説いた。周囲を明るくし、豊かにし、新しくし、純化する多くの珠玉のことばを遺した魅力あふれる実践者。
 小説などの創作も得意とし、「茗荷村見開記』をはじめ、多くの著書がある。

○岡崎 英彦  重症児とともに
 大正11年(1922)岡山県生まれ。昭和16年(1941)京都大学医学部に入学するが、戦争の激化によって軍医として中国戦線へ、復員後、京大付属病院勤務を経て昭和23年(1948)近江学園園医となる。昭和38年(1963)びわこ学園開設と同時に園長に就任。重症心身障害児療育に生涯を捧げる。昭和60年「朝日社会福祉賞」受賞。昭和62年(1987)65歳で死去。
 糸賀一雄の創設した近江学園に園医として参加した岡崎英彦は、昭和38年(1963)に西日本で最初の重症心身障害児施設びわこ学園創立と同時に園長となり、引き続き第二びわこ学園を開設します。「熱願冷諦」の岡崎は、地域福祉や高齢者福祉に取り組もうとした矢先、65歳で逝去しました。岡崎の人生は日本の重症心身障害児者福祉の歩みでもありました。

○守田 厚子  わが幸は わが手で
 明治35年(1902)山形県生まれ。大正8年(1919)熊本県立第1高等女学校卒業後、結婚。第2次世界大戦で夫と2人の息子が戦死。戦争未亡人の生活の安定を求めて、大津市未亡人会の設立にはじまり、全国未亡人団体協議会会長として、母子福祉の法制定など生涯に亘り母子家庭の福祉の充実に尽力。
 全国に先駆けて「大津市未亡人会」を結成した守田は、卓越した見識と行動力によって、母子福祉の向上と就労の場の確保など母子家庭の生活の安定のために尽力し、「わが幸は わが手で」を合い言葉に、半世紀にわたって一直線に進んできました。

○長尾寿賀夫  地域で福祉を創る
大正3年(1914)岡山県生まれ。昭和15年(1940)立命館大学を退学後旧満州国に勤務。昭和20年(1945)旧ソ連に抑留、昭和29年(1954)滋賀県社会福祉協議会に就職後、社協活動に独自の展開を図る。退職後、昭和49年(1974)「風の子保育園」を開設、地域社会で拡がりのある保育を実践。
 長尾寿賀夫は、戦後、社会福祉協議会の創成期から、滋賀県社会福祉協議会に籍を置き、学区などの小地域を単位とした地域福祉活動の推進に邁進します。舞台を風の子保育園に移しても、「囲いのない保育」という理念を実践する中で、保育園という施設から地域福祉活動を発信し続けます。

○鎌田昭二郎  住民本位のサービスをつくる
 昭和2年(1927)滋賀県生まれ。京都大学医学専門部卒業後、大津市に勤務、乳児検診「大津方式」を推進。昭和40年(1965)滋賀県庁入庁後健康福祉行政を推進、滋賀県の福祉保健・医療の統合など新しい行政施策に独自の展開を行う。
 昭和2年、滋賀県に生まれた鎌田昭二郎は、大津市、滋賀県に勤務する中で、赤ん坊からお年寄りまで、誰もが住みなれた土地で幸せな生活を送れるように必要な支援をすることが行政の役割であると考え、福祉・保健・医療の枠を超えたサービス提供のシステムを構築しました。住民の視点に立ち、ニーズに気付いたものが行勤しようと説く実践者です。